あの山この沢
会越国境の山 御前ヶ遊窟
阿賀野川支流、柴倉川鍬ノ沢シジミ沢の大スラブ
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コースタイム
林道入口(標高約300m)→(3分)林道終点→(20分)ソウケエ新道(下山コース)
合流点(350m)→(50分)シジミ沢出合(450m)→(60分)御前ケ遊窟
→(7分)岩峰頂上(846m)→(5分)御前ケ遊窟→(1分)ソウケエ新道
→(60分)タツミ沢出合→(4分)鍬ノ沢渡渉点→(3分)右岸歩道と合流
→(20分)林道入口
2001年5月26日
☆「平成の大合併」の大合唱のもと地理的文化的環境や生活圏を無視しての遮二無二の合併が全国吹き荒れる中、この山村も例外ではなかった。2005年4月1日、旧上川村や旧三川村は2町2村の合併で阿賀町となっているので、役場のHPのリンク先は変更しました。(2006年6月追記)
★御前ヶ遊窟の所在 新潟県東蒲原郡上川村(現在、東蒲原郡阿賀町七名)南部、福島県との県境稜線の鍋倉山の北に位置する井戸小屋山(902m)から派生する尾根の一角。詳しくは旧上川村
エリアのホームページで。御前
ヶ遊窟公式マップ
★御前ヶ遊窟の由来 平安中期平将門を討った叔父平貞盛の15番目の養子平維茂(これもち)の夫人が隠れ住んだ洞窟との伝承がある。15番目にあたるので余五といわれ、平維茂は余五将軍と称されて、この地域には数々の武勇伝がある。
余五将軍ゆかりの史跡は、阿賀町旧三川村
エリアのホームページへ。
★遊窟の「ユウ」は岩穴の意味らしく、谷川岳の幽ノ沢等と語源は同じらしい。
★全児童十数名の七名小学校方面から「ふれあいの森」を過ぎ、「たきがしら湿原」方面に道が川からそれ大きく右カーブするところが林道入口。舗装された駐車スペースがある。川沿いに未舗装の林道が200〜300mあり、そちらにも駐車できる。
★山と渓谷社刊『ハイグレードハイキング』にガイドがあるが、ハイキングの領域ではないだろう。
★足は乾いたスラブを登るにはビブラムソールのアプローチシューズがよいが、沢の徒渉には沢足袋かゴム長があればベター。
★林道終点から鍬ノ沢左岸の道をしばらく進むと沢に下り渡渉し、右岸の道をたどる。崩壊しているところもある。
★タツミ沢を右に分けると、左岸(対岸)に大スラブが至るところ見ることができる。道案内の看板が2か所あるので、注意事項をよく読んでおこう。
★今回は河原に降りるあたりから随所でズタズタに割れた雪渓が現れた。雪渓の下が河原なのか、ハイグレードってんでハイレグで泳げるゴルジュなのかは不明。水量はかなり多い。
★シジミ沢出合は本流に滝がかかり大岩で行く手を塞がれている所。出合取付には赤い道標がある。
★スラブはところどころに鎖が設置してあるが、鎖を頼るほどのところはないし、頼り無いので注意。特にさびた物は危険! ルート確認ぐらいのつもりで。
★遊窟から上には左手のスラブを直上して藪を7〜8m漕ぐと、稜線に出れる。稜線上にはしっかりした踏跡があり、右へ行って岩峰基部の左側から木の根っこを掴んで頂上に出れる。
★下りは、今来た道を引き返し、藪こぎしたところより少し下る(井戸小屋山方面への道)と、左に分ける踏跡がある。ここには赤テープもある。直上したスラブを大きく迂回するようにして遊窟に戻る。
★下山路のソウケエ新道入口は遊窟下の洞窟のちょっと下に道標があり、岩峰基部をトラバース気味に右上しいったん稜線に出て、また次の岩峰をトラバースする。
★下山は尾根筋をはずさないように一気に降りればよいと軽く考えるのは早計だということでソウケエ新道というのかと、一人合点しながら何か所も現れる鎖にぶら下がりながら下ると、タツミ沢出合に降り着く。ここからは鍬ノ沢左岸の道をしばらく進んで、右岸に渡渉して、少し登ると、往路に合流する。
★帰りには「たきがしら湿原」を回ってみよう。湿原を過ぎきれいに舗装された道が七名小学校に戻ってくる直前に2001年5月3日オープンしたばかりの村営「七福の湯」があるので、一汗流そう。