あの山この沢

奥秩父  笛吹川東沢釜ノ沢

1週間降り続いた雨でかなりの増水、
東沢本流の渡渉に苦労して千畳のナメに
 

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鶏冠谷出合
東沢の河原に降りて
最初に出合う支流

ホラの貝沢

ホラの貝の淵

上から見たホラの貝

山ノ神
廃道の壊れた橋
がまだ残っている

山ノ神の対岸には
東沢らしいスラブ
の岩壁が現れる

東御築江沢
水流は少ないが上部
は100mを越すスラブ

乙女ノ沢

そそり立つ岩壁

東のナメ沢

左岸の磨かれたスラ
ブをへつるか、右岸
台地の旧道を探す

西のナメ前沢

西のナメ沢

東沢らしい流れ
スラブの対岸は台地
になって旧道がある

釜ノ沢出合から
見た信州沢・
金山沢の河原

東沢の釜ノ沢出合
出合から1分も進
むと左に魚止ノ滝

魚止ノ滝10m
通常の倍の水量
で流れ落ちている

魚止ノ滝の左壁を
攀じ登る。見た目
より傾斜はない

魚止ノ滝の落口
ツルツルに磨かれ
浅い淵となっている

魚止ノ滝すぐ
上の大きな釜
手前をトラバース

魚止ノ滝上部の
釜の淵を右岸から
左岸にトラバース

千畳のナメ
通常より水量が多く
ナメ一面に流れる

千畳のナメ
泡立つ水流に周囲の
錦繍の樹林が映える

快晴の西のナメ沢

岩壁を紅葉が彩る

コースタイム(初心者含む6人)
1日目  三富村道の駅みとみ
1110m(40分)鶏冠谷出合1160m
(35分)清兵衛沢出合1225m(5分)ホラの貝沢出合1240m
(40分)山ノ神1280m(20分)東御築衛沢出合1310m(8分)乙女ノ沢出合1330m
(35分)東のナメ沢出合1355m(25分)西のナメ沢前出合1385m
(25分)
西のナメ沢出合1410m(60分)釜ノ沢出合1455m(3分)魚止ノ滝下1465m
2日目    空身で魚止ノ滝から千畳のナメの奥まで散策(40分)
魚止ノ滝
(50分)西のナメ沢出合(35分)東のナメ沢出合(20分)乙女ノ沢出合
(40分)山ノ神(40分)ホラの貝沢出合(30分)鶏冠谷出合→(35分)道の駅

2004年10月16日、17日
夏場の東沢流域には十年近く行っていなかった。乙女ノ沢や東のナメ沢、東御築江沢、鶏冠谷奥ノ飯盛沢など、単独では不可能と思える沢以外はほとんど行っているが、いくつかの沢の上部でのシャクナゲ帯の猛烈な藪漕ぎなどの記憶ばかりで、最近はあんまり行ってみたいと思う沢ではなくなっていた。
★なのに十数年ぶりに奥秩父東沢釜ノ沢に行くことにした。宴会山行中心の職場仲間達が紅葉シーズンの千畳のナメの美しい写真でも見たのか東沢にぜひ行きたいというので、 もっと日が長く暑い時期の方がいいよと諭してはみたがどうしても行くという。仲間達だけでも行く予定だというので、かなりヤバイんではと思い、荷物はできる限り軽くすること、夜の防寒対策だけはしっかりすることを条件に同行することにした。1人の沢仲間にも同行してもらって。
★大自然の中での宴会、山での調理が楽しみというわけだから、この「できる限り軽く」というのは所詮無理なことで、いつもどおりそれでもかなり軽くしたということだが豪勢な夕食朝食の生素材をザックに入れ、「初級」の沢に挑戦することになった。しかしこの後、重量は一歩一本の足取りにてきめんに現れてくることになった。
★二俣の吊橋を渡ってちょっと登ると、西沢渓谷遊歩道には東沢に入らないよう「立入禁止」の看板がかかって、ロープで柵がしてある。ここが東沢への入口で、西沢渓谷遊歩道と分かれて東沢の右岸の古い踏跡に入る。台地から下ると右手に堰堤上の広い河原が見える。右岸道はまだ先まで続いているが途中で崩れているので、はじめの河原に下りる踏跡からすぐに河原に下りて歩いたほうがいい。
鶏冠谷出合まで3回渡渉を繰り返すことになるが、この渡渉でやっぱりいつもより水量も多く、水流水圧ともかなり手強いものになりそうな予感。10年前の真夏、妻と小学4年6年の娘二人を連れて東沢を遡行し甲武信岳まで登ったときなど、子供でもすんなり渡れるぐらい でそんなには水圧を受けなかったが、今回は一歩一歩足をとられそうになる。
★清兵衛沢出合まで行くとやはり水量が普段より圧倒的に多いことがわかった。チョロチョロのはずの清兵衛沢にしっかり水が流れている。
少し行ってホラの貝沢出合でしばしホラの貝を眺め、ここから一気に70mぐらい登る。左岸歩道がホラの貝の高巻ルートってわけだ。少し登った所からホラの貝の入口(出口)付近を真上から見下ろせる場所がある。真上からの写真は俺に写させろってことでカメラを1人に預けたものの手ブレがひどくてここに掲げられなかったのが残念。普段カメラなど持たない奴に写してもらうなどするもんじゃないね。
ホラの貝の大高巻の最高地点はおよそ1300m、そこからはなだらかな下りとなって、東沢本流まで降りてくると、左手に落ちかかっている朽ちた木橋が見える。ここが山ノ神だ。もう廃道になっているが、西沢渓谷の七ツ釜五段ノ滝から石塔尾根を乗っ越して鷹見岩窪沿いに東沢に降りるルートがあったころの橋だ。橋のこちら側(左岸)河原に下りる手前の崖上の大木2本の下に小さな祠があった。
★山ノ神からは通常はずっと河原歩きとなる。左岸になったり右岸になったりだが河岸段丘の上には必ず旧道があるのでそちらを通るほうが幾分早いかもしれないが、せっかくだから東沢の透き通った淵を眺め清流に浸かりながら歩くほうが楽しい。しかし今回はこれが失敗だったかもしれない。水量が多すぎ、普段なら渡渉しなくてもすむような所でさえも激流の渡渉になって、沢慣れない仲間達には大変な疲労とストレスの要因になってしまったようだ。
★普段はほとんど岩壁としか見れない東御築江沢も今日はしっかりと水流を落している。
★乙女ノ沢も同じくすごい水量で落ち込んでいる。ここで大休止、昼飯とする。曇っていて幾分寒いので暖かい味噌汁がうまい。
★東のナメ沢も水流がはるか上部から流れ落ちているのが見える。
東のナメ沢を過ぎると、通常ならきれいな淵の側壁のスラブの際をへつればすむ所が、水量が多くてへつるのが困難だったり、へつった後狭まった沢を渡渉できなかったりなど、初心者にとっては2箇所ほど危なっかしい所があった。1箇所目(3段目1番目の写真)は左岸をへつり右岸に渡渉してみたが、下流の河原から右岸の河岸段丘に這い上がればなんてことはないカメラを構えた位置さえ通る必要がない段丘上の旧道があった。2箇所目は両岸スラブで、左岸スラブをへつるか木立を掴んでスラブ上に上がってスラブを懸垂ですべり降りて、ロープを渡して激流を右岸にズリズリ 摺り足で渡る。足を浮かせると危ない。ここは逃げ道がないので、イヤでも渡ってもらうしかない。
仲間達の体力の消耗が激しく、西のナメ沢までずいぶんと時間がかかってしまった。さらに釜ノ沢出合までも倍近くの時間がかかり、このままでは幕営予定の広河原に日没までに到着できない可能性が出てきた。滝場が終わっていちばん手前の左岸天場までにもヤバイかもしれないと判断し、少し時間は早いけど今日の行動は魚止ノ滝で打ち切ることにし、滝壺そばで幕営することに。早速焚き火の準備に入ったが、降り続いた雨で枯れ木の芯まで濡れていて、バーナーでガスボンベ1本分あぶってもとうとう木々には火がつかず、この後暗くなってから非常に寒い宴会となってしまった。
★いつもなら深夜まで続く宴会も寒さで早々にお開きとなり、夜明けまで10時間近くの睡眠。しかし、寒さ対策にまじめに取り組まなかった幾人かは朝までちょっと眠っては寒くて目覚めの繰り返しで、真冬並みのテント経験を楽しめたようだ。なにせ滝壺のそば、天然冷気のそばで幕営したのだから。
★ここまでの歩行時間からすると、魚止ノ滝を朝早く出発したとしても、稜線まで標高差まだ1000m、当日中に下山できなくなる可能性もあり、月曜日は絶対に休めない仲間もいるということで、千畳のナメはすぐ上だから空身で行くことにし、遡行はここで止めて引き返すことにした。
魚止ノ滝は以前のようには大木が立てかけられていない。しかし流水のずっと左、壁の岩がフレーク状にほんの少し抉れているところをフットホールドにすれば、わけなく壁上の樹林帯に上がれる。ロープを一応出しはしたがロープに頼るほどではなかったようだ。すぐに落口上に出れるが、2〜3mのことだがもう少し上流まで木立の中を進んで、滝上の側壁の傾斜が緩くなった所からナメに降り立つほうが安全だ。
魚止ノ滝直上のナメのすぐ奥は釜になっていてここに千畳のナメからの水流は落ち込んでいる。釜の手前の淵を左岸にトラバースして滑りやすいナメを這い上がる。昔我が家の子供達は危なげもなくチャプチャプ1人で渡っていたが、一夜明けても相変わらず水量は多く、このトラバースにも気を使う。傾斜の緩んだ岩床にずり上がれば、そこが千畳のナメだ。しかし手前の傾斜が意外と滑りやすい。樹林の中に逃げる踏跡もある。
千畳のナメも結構水量が多く、うかつにぺタぺタ歩けない。水流も白く泡立っていた。紅葉はもう1、2週間先かなぐらいだが、一同もうここまでこれれば充分満足と、感激する程度には紅葉しかけていてよかった。この千畳のナメを70〜80mぐらい散策してUターン。滑りやすいナメ直下の傾斜がある部分も無事通過し、魚止ノ滝は懸垂下降。
★もう一度魚止ノ滝をじっくり眺めて、下降開始。釜ノ沢出合まで下らずとも、東沢に小尾根をまたいで下る道があることを発見。昨日はさんざん河原を歩いたので、今日はなるべく旧道を見つけながら古人の山歩きを偲 ぶことにした。
★昨日の難所はまたロープと思っていたが、昨日よりは5cmぐらい水量が減ってるようで、昨日ほどには水流に足をとられることなく歩けて、ロープは使用しないですんだ。
旧道は沢がカーブしている内側のほとんどの河岸段丘上にあったが、1箇所川から3mぐらい上の岩壁を抉ったような所を通過していた。ここは河原を歩いたほうがはるかに安全だが、昔重登山靴で山歩きしてた時代には少しでも水に入らないよう努力していたのだろう。河原歩きと旧道歩きを比べると、旧道歩きの方がかなり時間は短縮できる。
★西のナメ沢、東のナメ沢、乙女ノ沢と見てくると、やはり支流のせいか昨日よりはずいぶんと水量が減っていた。本流も昨日よりはずいぶんと歩きやすくなっていた。
★鶏冠谷出合まで戻って来たところで、本流の水量が多いので東沢の遡行を断念して鶏冠山に登ってきたというパーティーに出会った。水量が多いとなかなか思ったように進めない。こんなパーティーの方が懸命だったのかもしれない。
 

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