あの山この沢
大菩薩、丹波川泉水谷小室川谷
大菩薩の北面を流れ下る小室川谷を遡行し、
二俣からジャヌケ沢に入って大菩薩嶺にツメる
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コースタイム(
5人)ロープの出し入れや休憩時間は除く
三条新橋広場760m→泉水谷林道→(25分)仕事道小室川谷下降点880m
→(5分)出合830m→(30分)2段8m下880m→(60分)右折して5m滝下945m
→(7分)S字峡入口970m→(25分)ゴルジュ小滝群出口985m
→(35分)石門ノ滝5m下1040m→(40分)小室ノ淵下1070m
→(7分)中ノ沢出合1080m→(60分)雨乞ノ滝12m下1175m
→(30分)4段30m滝上1210m→(10分)作業道の橋1220m
→(25分)2段20m上1295m→(40分)二俣1385m→ジャヌケ沢に入る
→(30分)2段15m下1505m→(35分)大ガレ始まる1680m
→(35分)右の小尾根に上がる1800m→(90分)登山道2040m
→右へ→(
5分)大菩薩嶺2056m
2007年8月4日(1995年5月27日)
★小室川谷の遡行図は、刊行物によってかなりまちまちだ。流程も長く次から次へと滝が現れるので、記録係も何がなんだか分からなくなってしまうのか、滝の高さ表示もかなり異なる。ここでの滝の高さは白山書房刊
『東京付近の沢94年版』と山と渓谷社刊『奥多摩の沢123ルート』とを参考にした。
★中高年山仲間の計画で丹波川の泉水谷小室川谷を遡行するという。僕は12年前に遡行してるのだが、デジカメでの写真がないのでこの遡行に参加することにした。
★当初、稜線に出た後は介山荘に宿泊予定、翌日登り返して丸川峠から泉水谷林道に下山となっていたので、バテバテで稜線につめた後介山荘まで行くのはかなりしんどいから賽ノ河原避難小屋に泊まることを勧めたのだが、とりあえずは予定通りで決行。
もっとも、介山荘は改築中で、もっと下って勝縁荘に泊まる予定にして。参加者は5名。僕は賽ノ河原避難小屋でダウンを見越しての準備で参加。
★月曜日のゲリラ豪雨、その前にもパラパラ降り続いた雨で川の水量は多そうだった。案の状、三条新橋から覗き込む泉水谷も水量がかなり多い。この先が危ぶまれたが、天候は良好、退散する理由もなくともかく出発決行。
★青梅街道から三条新橋を渡って車数台止めれる広場に駐車して、泉水谷林道をテクテク歩き始める。前方に谷が開け、泉水谷が右に大きくカーブする手前に、小室川谷出合へ下降するしっかりした仕事道を見つける。ここから下降して約5分で、泉水谷を渡る木橋が架かっている。橋の手前から泉水谷に下りて、川を渡って20mぐらい下流が、小室川谷出合だ。
★はじめのうちは広い河原を歩くが、川幅が狭くなるにしたがって水流の中を歩きたくなるものの、水中を直線的に歩くには水量が多くてなるべく両岸のゴーロを進む。この先かなり上流までゴーロでの水中歩きがしづらいことが、体力に影響するとはまだこの時点では気付かない。
★ゴルジュになると、2段8m滝(3m、5m)が現れる。右端にある古い頼りない残置ロープを伝って、右を巻く。
。
★また河原になって、少し先で8m滝となる。この滝は傾斜が緩やかなので、手前の大きく深い釜を胸まで浸かって右端に取り付き、苔むしたカンテを登って、上部は水流右を登ることができる。12年前にはここは直登したが、今回は右から巻く。巻くというより右の泥壁を越すだけだ。
★しばらくはゴーロとなって、水流を避けて進むが、両岸の河原は、枯れ枝や倒木で歩きにくい。これでかなり体力を消耗してしまう。
★S字峡手前で、沢が右に曲がる。ここに5m滝がある。手前には長く深そうな釜が青々としている。滝直下の
滝壺の手前のトロを2m程度泳いで右の斜上するバンドに上がれば、このバンドは落口手前からほとんど平らのテラス上になっているので、簡単に越すことができるのだが、水量も多くて誰も泳ぐ気にならない。そこで、トロの手前の明瞭な踏跡からバンドに上がることにする。
★ここでリーダーが「ちょっとウンコしていくから先に行ってて」ということで、他の者が登り始めた。僕はリーダーに水洗の天然シャワレットを勧めて、
すぐ後からついて行ったが、ちょっと登ってみても前がいない、先頭は何処まで行ったのか次の者も見えないと言う。何処まで登ってんだか分からないが、2番手3番手が滝上で懸垂で下りるという。「ちょっと待て、この下の段のバンドからすんなり落口に立てるよ」と教えるが、
もうどうにも降りてこれないらしい。バンド(テラス)から滝上に抜けて、上方を見上げると先頭ははるか上まで登っていて降りるに窮している。懸垂組もなかなか準備ができない。後から来たリーダーには「近道」を教えて、2人で3人が懸垂して降りてくるのをしばらく見守る。
★要するに、この5m滝は、釜を泳がなくとも、手前の巻道から直接落口にあるテラスに横移動できるのだ。確かに巻道は落口の上の岩壁上まで達してはいるがそんなところまで登ってしまうと、7m程度の懸垂でしか降りれなくなってしまう。
★この先でS字峡だ。水流が激しそうだが、ここはガイドブックどおり釜の左を腰まで浸かってへつって滝に取り付く。水圧が強く落口の一歩が厳しいが、無事全員
滝上に達し、水流の狭くなったところを右(左岸)にジャンプで渡る。ちょっと滑りやすい。後は簡単だ。
★谷が開けて左から松尾沢を迎えるとまたゴルジュになる。ゴルジュの中の小滝群を半身ビショ濡れになったりバンドをへつったりして通過。
★一旦単調な河原となった後、石門ノ滝と称される5m滝が現れる。泳げば突破できなくもないかな〜とか言いながら、青黒い釜を泳ぐ気には誰もならない。そそくさと左壁に垂れているロープを頼りに左から巻く。
★ここの登りはロープを頼るほどのことではないが、岩が濡れているのでやはりロープなしではかなりおっかない登攀になるだろう。上の岩の台地に立っても、岩が濡れて外傾して
ヌルヌルの泥を被っているので滑りそうで危ない。
★4人滝上を抜けても、あと1人がなかなかやって来ない。しばらく待てど登ってこないので、ロープの固定点まで戻って見下ろして見てもいない! 呼べども返事がない。何処にいるのか。外傾した岩の際まで行って下を覗きこんで見ると、左壁のバンド伝いの残置ハーケンを頼りに壁の途中で悪戦苦闘頑張っているが、どうにも
進めないようだ。ロープ持ってる者を呼び返して上からロープを垂らす。やっと通過できた。リーダーのお叱り一発。
★右岸にビニールの散乱したワサビ田跡を過ぎると、小室ノ淵に到着。それほど高くはないが両岸切り立っていて、不気味そうなトロの先に小滝が見える。この小滝だけなら泳いで突破できなくはないが、左に曲った先に登れない滝があるので、ここは無理せず最初から巻く。
★巻道は左の泥ルンゼをちょいと登って淵を形成する岩壁上に斜上する。岩の台地上に出れば後はそのまま水平に前進すれば小室ノ淵出口(水流から見れば入口)の河原に容易に達することができる。途中で少し際まで体を乗り出すと、直登不能の5m滝が見下ろせる。手前の3m滝も泡立っていて直登は大変だろう。
★小室の淵からほんの少しで、中ノ沢が右から出合う。この中ノ沢を15分ぐらい登ると、仕事道が横切るので、これを右に小室川谷に並行して下って行くと、小室川谷出合の木橋に1時間半ぐらいで戻ることができるようだ。中ノ沢より上流で釣をしている人達は、このルートからやってくるのだろう。
★中ノ沢出合から上流は、小滝が次々に現れナメも増えてきて、美しい渓相になる。美しい小滝が続くゴルジュっぽい小滝群はバンドをひた走ったり、へつったり、ナメ床の水流をペタペタ歩いたり、この沢で一番楽しい部分かもしれない。
★雨乞ノ滝と名付けられた12m滝は、この沢では珍しく樹林に覆われた滝だ。登れないので巻くことになる。
★左から巻けば簡単なはずなのに、どうしたことか巻道のしっかりした踏跡は右(左岸)にある。滝上の景色から沢は滝上で左にカーブしているから、セオリーとしては左から巻いたほうがベターのはずで、右から巻くとカーブの外側の岩壁上に達しそうだ。最近の遡行図や記録では、しかしどうもこの右から巻くのが通常のようになっている。結局、皆右を巻くと言うのでこれに従って、木の根っこを掴んで強引に攀じ登り最後は岩壁上から約8mの懸垂下降で上の河原に降りた。
★前に来たときは、左(右岸)のルンゼを数m登って、草付きの泥斜面を熊笹を掴みながらトラバースして落口上に達している。かなり怖い思いをした記憶が残るが。滝上の河原から見ても、やはりここは左からなら懸垂などせずに簡単に巻ける。かすかだが、踏跡も残っていた。
★12m滝のすぐ上で、5m、5m、10m、10mの幅広の4段30mのナメ滝だ。すばらしい景色に一同感激。
★全部、右の水線通しに登ることができるが、下2段はどちらかというと左のほうが簡単。下2段を水線の左から登って、いざ上2段をヒタヒタ右から登るかと思いきや、釜を泳いで取り付かねばならずもう今日は巻き癖がついてしまい、ナメ床際の樹林の中にある踏跡を伝って3段目を通過してしまった。最上段を巻いてしまったらこの沢に来た甲斐がないので、水流に戻って挑戦。
★側壁を手がかりに登っていって、落口の右に回り込むところがツルツルで、この一歩が怖いのでそこだけは這うようにペタっと踏ん張った左足に体重を移動させるはずだった。ところが何のことはない、スリングが垂れ下がっていて全然危険ではなくなっていた。水量が多くて水流に足を取られそうになるが、ありがたいスリングだ。
★平凡な河原となっても水量が多くて水線際を歩けず、藪っぽいゴーロをぐんぐん進んでいくと、作業道の立派な橋が現れる。皆、かなり疲れていたので、この道がどこにつながっているか分かっていればここから下山したくなっていた。が、どう考えても山腹のトラバースで時間がかかりそうなので遡行を続けることに。
★しばらくで4m滝が重なった2段8m滝。水流の左を直登する。
★少し先で2段20m滝だ。下段は傾斜が緩いので左壁を登れるが、ここも右から巻く。巻くといっても右端に朽ちた木のハシゴの残骸があるのでそれを利用して上の段に出る。上段も同様に滝のすぐ右の朽ちたハシゴの残骸を利用して越す。うっかり右のルンゼに入って大きく巻いてしまわないことが肝要だ。
★さらにナメ小滝は続くが、遡行を開始してから既に7時間以上も経ち、皆疲れてきている。標高はまだ1300mちょっとだ。このロースピードでは、今日中に稜線に出るのは無理かもしれない。ビバークも考え適地を探しながら登らねばならないと思い始めるが、5人中3人は、ビバークの用意を何一つしてないという。僕の予備食では全員の1食分にもならない。
★そうこうするうちに二俣(ジャヌケ沢出合)。左が妙見ノ頭につめるコンバ沢(金場沢)、右が大菩薩嶺を源頭とするジャヌケ沢(蛇抜沢)、どちらが本流か定かではないが、ジャヌケ沢に入る予定はなかった。
★ここは左と咄嗟に思うが、リーダーは水量の幾分多い右に入る。頷けなくてそこに留まり、地図を出して現在地を確認。台風が日本海を抜けだんだん遠ざかって気圧が上がってきているのか、
(後で分かったことだが)今朝合わせてきた高度計が50mぐらい低く表示されていたようだ。この二俣を左に入らねばならないのだが、ジャヌケ沢にはどうしてもまだ50mぐらい足りない。確信がもてない。しかし、ジャヌケ沢出合まで左からこんな水量の沢は合流するはずもないのだ。
★ここで右に入り、結局それがジャヌケ沢だったことは今回の遡行の最大のミスだったが、しかし前回は妙見ノ頭につめるコンバ沢を遡行してるので、まあもう一方のジャヌケ沢を遡行できて良かったのかもしれない。
★右俣(ジャヌケ沢)に入ると、小滝や3〜5m滝が幾つも現れる。ほとんどどれも直登できるが、さすが疲れてみんな足取りは重い。
★高度計がやっとジャヌケ沢出合辺りの高度を指すが、右から水量比1:1の沢は現れない。とうとうジャヌケ沢に入ってしまったことをほぼ確信する。しかし、25000図ではこの先広大なガレがあるが大丈夫かなとふと不安になる。
★沢が左に曲ると、そこには2段15mの滝が落ちている。皆が持っている遡行図にはそんな滝は載っていないらしい。僕が持って行った3種の遡行図のうちの1つ『東京付近の沢94年版』にはしっかり記載されていた。この遡行図では、なんと左俣(コンバ沢)の位置にその2段15m滝が記載され、念入りにもこの沢よりももっと手前でジャヌケ沢が右に分かれていることになっているのだ。ここでまた、はたと悩む。ほぼジャヌケ沢に入ってしまったと確信していたものが、そのルート図だと妙見ノ頭につめる正規のルートのように書かれているのだ。
★この大滝は、上段は簡単そうに見える。下段も下部さえ登れれば後はなんてことはなさそうなのだが、下部が幅広く立っていて取り付けない。右の涸沢に少し入ってやっと岩壁の立っている部分の高さをクリアできる所から滝に向かってトラバースしても滝の中間に下りれそうもなく、木の根っこを掴んで小尾根に乗っかり上段滝上まで巻いて、急斜面を立木に掴まりながら降りることができた。この滝を巻いたパーティーがいくつかあるのか、踏跡もそれなりにあった。
★この後もしばらくはナメが続き、枯れ枝や倒木で藪っぽいゴーロに変わると途端に歩きづらくなって
くる。もうこのころには皆バテバテだ。もう9時間も歩きとおしている。後2時間で日没、稜線までは高度差400mはある。
★標高1600mあたりで水が涸れる
。そろそろ本気でビバークを考えないといけないが、何せビバークの用意がない者がいるので決断が鈍る。それでも各自空のペットボトルには水を満タンにしてもらって再び歩き始めた。と、目前に広大なガレが現れた。
幻覚で石積ダムか林道の則面に見える。
★ガレは高度差90m近く続いていた。皆フラフラ状態なので、後続へ落石しないよう一歩一歩が大変
。所々生えている木立の間を縫ってガレ上に達すると、もうほとんど沢の形状はない。わずかな窪地を登ってみるが、藪がひどくて歩けないので、右手の針葉樹林帯の尾根に逃げる。17時を回っている。あと3,40分もすると暗くなる。
★ビバーク準備のある者はビバークを主張するが、高度計の約50mの誤差が”幸いして”あと150mぐらいで稜線に出れるから頑張ろうということになった。実は200m以上もあった。
★先人の踏跡があるわけでなく獣道を拾いながら樹林帯を登るが、ところどころ背の低い木立(主に栂)がうるさい。しかし藪漕ぎというほどのことではないし、まして猛烈な藪漕ぎってわけじゃない。疲れてさえなければ何てことない樹林
帯の登りだろう。それでも少し離れると仲間を見失うので吐息のような掛声を出しながら、ひたすら高みを目指す。
★いよいよ暗くなってヘッドランプを点けての「藪漕ぎ」となって、一踏ん張りしたらトップから「登山道だぞ〜」の声。ああ着いた。左が下り、右が上り。暗くてしかもガスっているので現在地がよく分からない。うっかり下ると登り返しが大変だから、ここは、とりあえず右に登ってみる。
★5分も行かないうちに大菩薩嶺の山頂に達した。やっぱりジャヌケ沢だった。
★二俣から稜線まで、バテバテでチョコチョコ休みながら結局4時間もかかってしまった。
★尚、単独で、二俣から本谷とされる左俣のコンバ沢(金場沢)を忠実にツメると、2時間弱で稜線に出れる。
参考タイム(1995年5月27日) 二俣(ジャヌケ沢出合)1385m左へ→(10分)伏流になる1470m→時々水流現れる→(45分)両岸崩壊地1700m→(40分)登山道(妙見ノ頭直下)1960m→(
5分)賽ノ河原避難小屋1885m
★★これで、『東京付近の沢94年版』のルート図(1980年発行の『東京付近の沢』も同じ)の誤りが確定。妙見ノ頭につめるコンバ沢の部分に記載してある滝記号を全部1本下流のジャヌケ沢に移して、ツメ
を大菩薩嶺にすべきだった。要するに、一般的に遡行されている本谷とされるコンバ沢ではなく、別の沢ジャヌケ沢を遡行した記録だったのだ、その遡行図は。
もっとも、遡行図の二俣の下流に右岸から合流する沢を「ジャヌケ沢」と記載しさえしなければ、大菩薩嶺近辺につめる図として正しいことになる。ガイド全体を読むと、筆者達はもともと妙見ノ頭ではなく大菩薩嶺につめる予定の遡行をしているように思える。いつのころからか、妙見ノ頭につめる沢屋たちと記録がごっちゃになっていったと考えるほうが素直なのかもしれない。
(念のため、現在発行されている同社刊『東京周辺の沢』2000,4はコンバ沢の遡行図になっている。)
★さてさて、ここからなら一気に丸川峠に下ったほうが早いのだが、大菩薩峠から下った勝縁荘に予約してあるというので、ここで終了というわけにいかず、最後の行軍が始まる。雷岩まで降りて山荘に遅くなった電話を入れ、老骨鞭打って真っ暗なガスの中をトボトボ下った。天気さえ良ければ甲府盆地の夜景がきれいだろうに、何も見えない、疲れも増す。
★大菩薩嶺からなら、丸川峠を経て泉水谷林道に下れば、小室川谷出合上までは2時間半強で下れる。
参考タイム(1995年5月28日) 賽ノ河原避難小屋1885m→(30分)大菩薩嶺2056m→(50分)丸川峠1675m→(20分)泉水十文字1610m→(30分)大黒茂谷沿いの道1300m→(25分)泉水谷林道1090m→(35分)小室川谷出合上880m
★前回遡行した時は、出合を9時50分に出発して、妙見ノ頭直下に16時37分に飛び出て、そこでヘロヘロ。
下山途中で暗くなるので
賽ノ河原避難小屋に寝た。今日もその準備はしてあるのだが、リーダーの判断で明日は上日川峠でタクシーを拾って三条新橋まで帰ろうという運びになったので、ひとり賽ノ河原でビバークするわけにもいかず行動を共にする。
★賽ノ河原避難小屋は、当時は窓が吹き抜けだったのでひどく寒い思いをしたが、帰路で見た小屋は窓はしっかり封鎖されていた。疲れきった今、快適そうだった。
★稜線に出たところから勝縁荘まで1時間半もかかってしまった。三条新橋から14時間も歩いたことになる。
★尚、単独でスピーディに遡行すれば、出合から
二俣まではおよそ5時間弱だ。もっともこの記録は水量が少なめだったせいかもしれない。下山まで含めて日帰りはかなりきついだろうが、1日で一気に稜線に出るには、単独かなるべく少人数がベターだろう。
参考タイム(1995年5月27日) 小室川谷出合→(20分)2段8m滝上890m→(50分)5m滝下→(10分)S字峡→(50分)石門ノ滝5m上1050m→(20分)小室ノ淵下→(45分)雨乞ノ滝12m下→(40分)2段20m滝上→(30分)二俣
(ジャヌケ沢出合)